マンガの
(武林風)描き方
その11 -2
他人の意見いろいろ …とそれに対する徒然
★★★
脱線ついでに、持ち込み&マンガ編集について、もうちょっと。

編集との打ち合わせは、よく「闘い」だと言われますが(プロにとっても・志望者にとっても)
これも、その言葉の「まんま」の意味でとらえるのは、危険だし、残念な結果をもたらしかねないと思います。

ある意味「闘い」でもありますが、
それは、自分の主張をかたくななまでに押し通すという意味ではないはずです。
だからと言って、編集の言うまんまに、リテイクするだけというのもあまり嬉しくないですよね。

だいいち、まんまに作るのなら、そのマンガの作者(あるいはアレンジャー)は編集ということになってしまうわけだし。(これは作者にとっては、非常にオモシロクナイ事態だと思うし)

また、自分の表現(マンガ作品においても・持ち込みの打ち合わせの会話においても)が未熟で、自分の主張が伝わりきれていないという場合もあります。

やはり、プロでもアマでも、創作者としては
「編集の言葉に、自分に役立つものがないか?」
自分の主張と融合点はあるか?」
編集の意見と、自分のこだわりとのミキシングで、あらたなモノが出来る可能性はないか、
いろいろ考えることが、必要なのだと思うのです。


そう考えると、Webでのアドバイスとかと、ちょっと似てますよね。
でも、大きな(そして重要な)違いがひとつ。
それは、その意見や評価が、
「叩き台となる作品」を前提におこなわれてるということです。
★★★
さて、そこで話を元に戻しましょう。


Webでの、マンガ創作に関するやりとり、あるいはそれをロムって参考にする・・・
などという事には、危険性をも含むかもしれない、ということを感じたのです。

(例外もあるのだとは思いますが)マンガ創作に関するWebでのやりとりって、そのほとんどがマンガについて文字だけで語るわけです。
しかも意見交換だけならまだしも、どんどん積み重ねて発言していくことによって、
どんどん概念的になってしまうところに、気をつけてもらいたいのです。
これはある意味、
創作者にとっては危険なことだと思うわけです。

「評論家になってしまっては、創作活動はできなくなる」

とよく言われますが、まさにその通りだと思います。


自分の描きたいもの・・・描いてないけど、そのうちこう描くんだ・・・などという理想論に発展していってしまい、そしてその自分が吐いたコトバが、自分の創作意欲を縛りはじめるのです。
「言ったからには、言ったとおり描かなくては」
などと縛られてしまうと、次第に描くのが大変なことになって行き、しまいにはなにも描けなくなるわけです。


特に、概念的・観念的に、りっぱなことを言うのは、すごく簡単なだけに、始末が悪いんです。

しかもマンガって、「すっごく具体的な表現がまずありき」なモノなわけでしょ?
そして、言いたい事を、創作したドラマにのせて、具体的な表現をするって、
観念論をならべるよりも、もっともっと、ずっとずっと、はるかに難しいことだと思うのです。

そもそも自分の感動を具体化することが、マンガ(に限らず作品)を表わすということなわけだから。

自分のやりたいことはこれこれこうだ・・・と、
言葉で表わすのは、評論家・発言者のすることで、
漫画家や、漫画家志望者は、
作品でまず、語ってもらいたいものだと思うのです。

語り方については、個人個人千差万別です。
ノウハウなんて、描く人の数だけあるわけです。


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