作品リスト以前の武林

(無名時代...いや、今が有名って

わけでもないんですけどね^^;)

別に自己を回顧するというつもりは無いんですが、「どうやって
漫画家になったのか?」という御質問が多く、それに対してお茶
を濁すようなお答えばっかりしてきたので、少々反省し、できる
だけ詳しく、きちんとお答えしてみようという気持で、書いてみま
した。 しかし、お答えというより、ただの思い出よた話になっ
ちゃってるな...こりゃぁ(笑)。しかも長ぇし...。

デビュー前

今から15〜16年前、学漫のサークル内で有志による同人誌を
やってました。年3回のコミケ・スパンで新刊を出して。
ジャンルとしては8割オリジナル創作、2割アニパロで、どちらも
ややHっぽいものだったんですが、とにかく武林にとっては唯一
のマンガ描きのはけ口だったんです。

当時の同人誌事情としては、なかなか売れてた(しかもその頃は
売れることが嬉しかった)同人誌も、通巻7号にもなると、武林一
人が原稿も描き、編集し、1〜2人の助っ人と売りに行く、という体
制があたりまえのようになってきてしまいました。
もとはと言えば、マンガに対して「我の強い」武林の性格が、そうい
うワンマン体制を作ってしまったんですが。

しかしそうなってみると、原稿描き以外の作業が非常にめんどくさく
感じられるようになってきて、もともと個人の趣味的な同人誌でもあ
るし、7巻を最後にすることにしました。
その頃、かなり巨大化してきたコミケにも、少々うんざり気味だった
ので、最後はちょっと小さ目の即売会を...と、とある池袋の公民
館での200スペース程度の、名前も忘れた即売会に最後の新刊で
参加をしました。

今後のマンガ描きのはけ口に悩みつつ、それでも描きたきゃまた同
人やりゃぁいいか...なんて思ってたその即売会で、当時フリーの
編集をやってた某氏に声をかけられたのでした。
「こんどペン○ンクラブって月刊誌が創刊されるんで、人集めしてる
んだけど、よかったら一度描いてみませんか?」
渡りに舟とはこ〜ゆ〜ことか!?
それも小さい即売会だったからプロの目にとまった?

「考えてみます」と返事を濁した武林でしたが、ココロはもうほとんど
決まってしまっていました。
まだまだ、マンガが描ける!!
だが、現実はそう甘くはなかったのでした。....(^^;)

デビュー当初

雑誌にマンガを描いて、原稿料がもらえる!?しかもBCスピリッツを
目指してる新雑誌で(笑...でも当時、そう伺ったのは事実)。
これって、漫画家じゃぁねぇ〜かぁぁ〜っ!!

それ以前にも、朝日新聞の埼玉版で原稿料もらって、ひとコママンガを
何度か描いたことはありましたが、それはあくまで地元大学のマン研と
いう立場へのオファーでしたから。

さてさて、意気込んで20Pのネームづくり。同人の頃のオリジマンガの
雰囲気をふまえて、ちょっと私小説風の暗めのお話。そしてリテイク。
「なるほど、これがウワサに聞くボツってやつかぁ。」(まだ余裕)
ちょっと、演出ひねって再トライ。またリテイク。
「うんうん、プロは甘くない...って。」(まだまだガッツ)
話運びもオチも大きく変えて.....やっぱリテイク。
「........」(やや、めげはじめ)
その後も何度かのリテイクを繰り返し、あげくのはてに
「今回も、なんも直ってないじゃないですか。」とか、言われ続ける。

担当編集氏だけでなく、編集長まで交えての打ちあわせ等を繰り返し、
ペン入れ作業になかなか移れないもどかしさに、大きくめげた後、やっと
GOサインが出ました。それも納得ずくのOKというよりは、タイムスケジュ
ールの都合上、という情けないものでした。(苦笑)

そして作画作業。今までの挽回とばかりに、かつてないくらいに丁寧に、
ペン入れをして、トーンワークして、20Pにまるまる一ヶ月かけて入稿に
こぎつけたのでした。

はたして....。

一作目のショック

ワクワクしながら、処女作の印刷を待っていた武林が、そのペ○ギン
クラブ創刊2号を手にした時。
「あれ....?」
載ってることは載ってるのですが、どうひいきめに見ても、
すっげぇ〜ぇ下手糞 !!
......なんです。他の掲載マンガが、いかにもプロっぽい絵なのに対
して、自分のマンガの描線のなんと稚拙なことか!
友達等に報告に回ろうと思ってた気持が、瞬間でふっとびました。
すぐに雑誌を閉じて、二度と開くまいと思いました。...(^^;)
(だから、今現在その原稿はおろか、印刷さえ持ってないんです。)

たぶん読者の評価も最悪だったんじゃないかな。
なにせ成年コミックなのに、ノルマシーンを1/2ページしか入れなかった
んですから...。しかも自分勝手に...。

かなり自己嫌悪のようなもので、落ち込んでいた時、しかし、2度目3度目
の仕事の依頼があった事は、今考えればかなりラッキーで、そのおかげ
でプロになれたのかもしれません。

2度目の仕事はペ○ーミントコミック。3度目はフェ○リーダストと、両方
とも、またH路線だったんですけどね。
なんとか挽回したい!と思ってるところでしたから、今度は自分の青臭い
ポリシーとかはさておいて、精一杯のサービス精神を発揮してみようと、
がんばってみました。
しかし、そう簡単に切り換えられるわけもなく、2作目は上滑りして、また
またの大失敗でした。ところが3作目の掲載後、
「近いうちにPart−Uを描いてくれないか」
とのオファーがあったのです。....(・o・)!?

自分に対して、期待値だけではなくオファーがあったんです。
すぐさま机にかじりつき、そのアイディア作りにとりかかったのは言うまで
もありません。
「ドラゴンハンタープリンセス」というそのタイトルは、3つも4つもエピソード
が出来てしまったんですが、残念ながらフェ○リーダストが、2話目の出来
る前に休刊してしまったので、日の目を見ることはありませんでした。
(....思えば、この時からイヤなジンクスが始まってたのかな・苦笑)

ここまでは....(98.6.21)



仕事が楽しくてしょうがない頃

’84〜5年頃、ジャンルとかにはおかまいなしに、担当をしていてくれた
フリーのエディター氏の提示してくれた件をお受けするという形で、やみ
くもに仕事をしていました。といっても、年に4本(4P〜48P)ぐらいだっ
たんですけどね。
受験マンガやアニパロアンソロジー、ミステリーもの、お気楽ファンタジー
等、H路線のものはほとんどなかったんですが、そっちは初手での苦い
経験もあって、エディター氏が武林には振らないでいてくれたのかもしれ
ません。

まぁ、年にたったの4〜5本、ページ数にして100Pあるかないかの仕事
量でしたが、それまでアマチュアとして描いていた頃よりも多かったですし、
何よりも「仕事」として描くわけですから、かかる手間はそれこそ何十倍
にも感じるくらいでした。

何度か仕事をやってるうちに、自分の、自分にとってすごく気になる欠点
とかも見えてきたりして。
どうも、印刷になると予想してたより見栄えが悪い、いつまでたっても描線
が野暮ったい、素人臭い、という点なんですが...。
今まで一度もプロの生原稿を見たことがないからかなと思い、それならば
誰か適当な方の(失礼^^;)生原稿見る機会を与えてくれと編集氏に頼ん
でみました。

その編集氏の紹介で、富士参号氏と漆原さとし氏の臨時アシスタントに
入ってみることになったんですが、なんせその時点での武林はアシという
ものを使ったことはもとより、アシとして手伝った経験すら全く無く、ずい
ぶん効率の悪いアシだったと思います。
しかしそこで自分とはゼンゼン違う絵柄なり、作画法に触れたり、また知ら
なかった画材とかマンガの情報とか、興味深いものがいっぱいころがって
いて、キョロキョロ、ウロウロのし通しでした。

その時、なにより両氏がうらやましかったのが、担当編集が仕事部屋まで
原稿を取りに来てくれるということで(しかも差し入れとか持って...ね)、
ああ、早く俺もこうなりたいと思いました。(笑)
それと、俺も早くアシを使えるようにならなくちゃ...とかも。
自分の原稿の進行の合間を縫ってでも行って、いい経験をしたと思って
ます。

富士参号氏とはその後も何年かの間、急場しのぎのアシに行ったりしてた
んですが、いまだに氏とはちょくちょく合流して酒飲んでます。もう本当、
ちょくちょく...ね。(さすがにここ6年くらいアシはやってませんが。)

とにかく、マンガの仕事も、マンガの周囲の環境も、初めて目にし耳にする
物ばかりで非常におもしろく、学業の方はどんどんおろそかになっていか
ざるをえませんでした。(おいっ!そ〜いうオチかい・苦笑)

貧乏漫画家(...のようなもの)

富士氏と知り合ったことで、もうひとつ重大な事がありました。
彼はちゃんと、仕事だけで食っていってる。衣食住をまかない、アシに
バイト代を支払い、税金も納めている....(笑)。
それにくらべて俺は、親元で生活してるのをいいことに、二十代も後半に
なるというのに、生活面では親のスネかじりっぱなし。

はたと気づいたのは、
「俺このままでは、食っていけねぇんじゃぁ...?」

そのころ大学時代から続けていたバイトの家庭教師が、ますますやめらん
なくなっちゃって、教えていた子に、将来の夢とか聞いたりする時に、自分の
ほうがつくづく情けなくなっちゃったりしてたもんです。(苦笑)
「先生?...先生ど〜かした?」
「ん!?...あぁ...いやぁなんでもない。ごめんごめん...」

今でこそ、思い出し笑い出来ますけど、そのときは夜布団に入るとき
決まって、どうしよぉ.....
思い悩み続けていました。
この頃からですね。武林が「デビューなんて、運さえ良ければ誰だって
できる。」「大変なのは、食えるようになることだ。」と思うようになったのは。
今では「食い続けていくことのほうが、もっと難しい。」と、考えるようになって
いますが....。

初連載の一喜一憂

入稿直前につぶれてしまったT出版の原稿(48P・当時の武林には長編)が、
宙ぶらりんになってしまうとこを、編集K氏の奔走で、青心社に拾ってもらい
ました。
それが縁で、青心社のファンタジー・アンソロジー本に1〜2本描いた後で、
コミック・ガイア(現在休刊)に初の連載をスタートすることになりました。

今まで、100Pを越えるマンガの構想さえ練ったことがなかったんですけど、
せっかくのオファーを無にすることなど、もっての外だと考え、「自信あり」の
ふりをしてこの仕事に取り組むことになりました。

隔月で24Pずつ、今から考えればすっごくゆったりしたペースですが、なんせ
アマの頃から一度も描いた事の無い物量(もちろん全話でという意味)ですか
ら、まずどうやって長い話を考えたらいいのかもわからず、とにかくネーム以前
の段階でのボツ(自分で下すボツ)を、やたら繰り返していました。

さらに2ヶ月に一度のわずかな原稿料では、あいかわらず「食えない」ままでし
たし。

その連載を始めて少したった頃、大学時代の先輩でレディースコミックの編集
をされてたY氏から
「今度E社で、少年マンガ誌が立ち上がるんだそうだけど、ためしに当たって
みたらどうか?」という情報をもらい、ダメもとで...という感じで32Pのマンガ
を送ってみました。
なんと、これが武林にとって、初の投稿だったんです(笑)。

賞にはもれちゃいましたが(苦笑)、連載予備軍として担当編集づきとなり、
もう、そうなったらこっちは連載を取ることしか考えず、短編としてではなく、連載
の初回としてのネームばかりを、打ち合わせしていました。

結局、その雑誌では連載はおろか、一度の掲載もないままにたもとを分かつ
ことになってしまったんですが、そこでの担当編集T氏がE社と分かれ、雑誌を
起こす事になり、新たに月刊と隔月刊とに連載することになりました。
で....やっと「食える」ようになったんですが....。

首がつながった

「コミック・SFC・セレクション」(辰巳)と「PCコミック・ワールド」(英知)
新たに連載を起こしたのは、二つともゲーム・マンガ雑誌で、両方とも一話20
〜24Pぐらいでした。これでガイアと合わせて、二月で80〜90Pの仕事量と
なり、その原稿料で、なんとか普通に「収入」らしくなってきました。

アシなども使うようになり、先の先まで〆切スケジュールが確立するようになり、
行く行くは....単行本(かなぁ?)と、仕事環境はグッと漫画家らしいものに
なって来たと、内心ではかなり嬉々としていました。
漫画家同士での飲み会とかにも、顔をだすようになりましたし...そうそう、
この頃生まれて始めてファン・レターなるものも何通かいただけるようになりました。

そんな余裕らしきもの(生活面においての...ですよ。マンガに関しては余裕
なんて、今でも無いです)が生まれてきたかなぁ...と思った矢先、「PC〜」の方
が雑誌の存続が危ないと聞かされました。

ちょっと、ちょっと、俺の連載まだ本になるほど貯まってない。

それから始まったんです。例のジンクスが.....。
PCワールド.....休刊(連載途中−140P前後)
コミック・ガイア....休刊(同−150P)
SFCセレクション...休刊(同−140P前後)

そして「PC〜」の後継雑誌として、始まったばかりの雑誌も
コミック・サ〜ガ...休刊(同−60P前後)

ぜんぶ連載途中での、掲載誌の休刊。しかも連鎖的に、連続で....。
ゲーム・コミックは、マルシー付きですし、第一単行本になるにはページが足りな
い物ばかり。しかも2ヶ月先からは収入の予定なし。
半年ほど前から感じてた、ささやかな生活の余裕は、いきなり消し飛んでしまいました。
ほんと、なんとかしなくちゃ...なぁ....。

どうするも、こうするも、まだ何も考えてなかった時、考えられなかった時、
しかし!仕事(=運)は向こうから、やってきてくれたのでした!
角川「マルカツ・スーパーファミコン」への連載のオファー。
学研「コミック・ガイズ」新創刊からの連載のオファー。
まさに、
首がつながった!という時でした。

まぁ....それからも、紆余曲折はありました。(え...ええ、そりゃもう、かなりの)
そしてたぶん、これからも輪をかけて、....あることでしょう。
でも、そりゃぁしょうがないよ...ねぇ。
こういう稼業なんだから
(笑)

これで、一応終わりです...(98.7.7)


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